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定番だけど、2004年を振り返ってみる。
- 1月
個人としては初のプロツアー、PTアムステルダムに出場。
初日でナシフとカルロス・ロマオにセコい引きで勝って、2日目進出。
最終成績は9勝6敗で70位。
プロツアーで《ドロスをうろつくもの/Dross Prowler》2枚入りのデッキで2−1できる辺り、マジックはまだまだ奥深いと思った。
あと、マネドラに誘ったら「フジシューさんの決勝がみたいんで辞めておきます」と言った、浅原君が1時間後には大磯君達とマネドラやっていたというトラウマは未だに夢にみる。(嘘)
- 2月
『どーせ勝てっこないだろう』と思いながら参加したPT神戸の前日予選で、なぜか9−0して権利獲得。
デッキはメタル製《頭蓋骨絞め/Skullclamp》入りグレ神話。
これが切欠で《チス=ゴリアの鱗/Scale of Chiss-Goria》がマイフェイバリットカードになる。
ちなみに本戦は3勝4敗で初日落ち。
2日目はいつの間にかジャッジ試験を受けて、見事合格。
今になってバラす(て、ちゃんと申告してるけど)と、この時まで公認戦でのジャッジ・スタッフ経験は一切無し。
こういう経緯でジャッジ資格とった人間って結構珍しいんではないんかね?
ちなみに、神戸に行く前にコムシュウに頼まれて神戸での宿(会場近く、割安、ネット回線あり)を教える。
見返りに(本戦抜けた時のために)限定構築デッキレシピを教えてもらう約束をしていたが、見事にぶっちされる。
まあ、コムシュウだし。
- 3月
GP仙台に参戦。
1バイ明け1敗、即ドロップ(笑)
日本選手権の権利のために『1敗即ドロップ』は公言してたけど、「ありえない」とみんなからお褒めの言葉をいただく。(違)
- 4月
社会人2年間突入。
マンモス帝國のレーティングが1720ぐらいだったのが、PTQで1750まで上げることに成功して無事PTサンディエゴ権利確保に成功。
- 5月
うわ。目ぼしい記録が何もねえ。
- 5月
PTシアトルは帝國の都合で参加できず。社会人1年目だしねえ。
・・・・・・誰かさんは例外です。
- 6月
レーティング招待で日本選手権に出場。ちなみに初出場。
成績は頼みのドラフトステージがさっぱり振るわず7勝7敗の64位。
ちなみにこの時一番の噂のマトだった忍○君と当たったのですが、なんとか勝利。
いや、危なかった。
日記じゃ書いてなかったけど、仕事の方はこの月から担当内の新プロジェクトに異動になる。
上司が変わったり、職場が横浜から溜池に移ったりして、色々と勉強になった。
- 7月
PTQコロンバスでの『ベスト8敗退 祭り』がスタート。
ちなみに祭りは8月まで続いて、ベスト8敗退すること3回。
- 8月
仕事がキツくなり、この辺から連続午前様とかを経験しだす。
マジックの方はGP名古屋に参加して、身内(メタル、(゜∀゜)、TOPPO)に斬られまくって初日落ち。
- 9月
仕事が唐突に暇になる。
- 10月
2年目社員の発表会準備に追われて心身ともに死にそうになる。
この頃は目が死んでたなぁ。
玄人会で車輪杯を主催して、参加人数16人というミニマムの記録樹立。
あ、大会後記まだ書いてないや。
- 11月
GP横浜は2−2でドロップ(内、1勝はバイ)
GPは天才的に弱いことを自覚する。
仕事の方は新規プロジェクトの方から元のプロジェクトに戻る。
ただいま横浜、ただいまイマイさん(仮名)
- 12月
PTQアトランタとGPT大阪シーズン。
マンモス帝國はギリギリでプロツアーに出れる状態なので、適当にチームを組んで適当な結果を残す日々。
ちなみに一番良かった成績はGPTに出たときの『マンモス帝國かも?』*1でベスト4。
*1:編成は俺、いにしえ、鴨屋